有田 山徳窯の歩み
『大物・荒物』といわれる大皿や盛込みで全国に名前を知られるヤマトク。
その歩みは江戸時代に始まった有田焼の歴史にそのまま重なる。
~有田 山徳窯の歩み~
寛永五年(1628) 佐賀藩主の鍋島勝茂は、副田喜左衛門に命じて有田町岩谷川内に
藩窯を築き、
国内で初めて白磁と青磁の焼成に成功した。
ヤマトクは、その岩谷川内窯の技術を伝承。
寺の過去帳には、1750年頃からの記述が残っている。
窯では代々、当主の名前が屋号として使われてきた。
ヤマトクは明治時代に窯の拡大発展させた山口徳一の二文字。
第二次世界大戦中は企業合同で『佐賀陶磁器』と名前を変え、手榴弾のボディー部分を作ったことも。
昭和17年(1942)株式会社移行に合わせ、長く親しまれてきた『ヤマトク』の名前を復活させた。
江戸末期の蔵を改造した展示場には、豪華な染錦の大皿、大壺、高級食器に加えて有田焼の特性を
生かしたアイデア商品が数多く並んでいる。
有田伝統の意匠を施した手洗い鉢や鏡、便器などの水回り品、優勝カップ、電気スタンド、スイッチプレートなど。
面白いものでは、繊細な音を響かせる円形スピーカーも。
長引く不況で業界では“脱食器”の取り組みも盛んだが、磁器の特性を生かし、
時代に合う商品が何かを考え続けてきたヤマトク。
第一弾は20年前、松下電器と共同開発した
『陶板ラジオ』。
新社屋落成の記念品などとして引き合いが続き、
販売45万個のヒット商品となった。
この20年間で食器以外の商品の売り上げは全体の半分近くにまで伸長した。
現在、最も販売に力を入れているのは、
佐賀県有特許である酸化チタンコーティングを施した水回り商品。
酸化チタンは、活性酸素を放出し、汚れ防止や抗菌に効果がある。
H14年2月26日 佐賀新聞『百年企業~世紀を越えて~』掲載より